アンチデッサン

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  • デッサンは個性を阻害する?
  • デッサン力なんていらない?(1)

デッサンは個性を阻害する?

以下、要約ですが、こんなご相談を頂きました。

>味のある絵を描く中1の子が、
>「デッサンを基礎からじっくり習いたい」と言ってくる。
>せっかく味のある絵を描いているのに、
>デッサンなんぞ教えてしまったら、
>彼の持ち味や個性を消してしまうのではないかと
>躊躇しています。

デッサンを習いたいと言っているのであれば、習わせてあげたらいいのでは?と私は考えます。
デッサンを勉強したくらいで消える個性なんて、個性ではないと思いますね。ある偉人の言葉らしいですが、「自分が個性と思っているものを全て捨ててみろ、それでも残ったものが個性である」と。本当にそうだと思います。
デッサンで個性が失われると思っているのだとしたら、よくいる頭の固いデッサン至上主義者並にデッサンを課題評価しているか、個性というものを過小評価してしまっているかのどちらかだと思います。

本人はデッサンを基礎から習って本格的な絵を描きたいと思っているのに、周囲の大人が感じる「味のある絵」を強要されてしまうことは、それはそれで不幸なことです。

デッサンで個性が失われると思っている方は、偏見を排除してデッサンをじっくり見てみると良いと思います。2つとして同じデッサンなどないことが分かると思いますから。

同じ事をしていてもにじみ出てくるものが個性なのです。逆に言えば、子どもが描いたような「下手だけど味のある絵」も興味がない人から見たら皆同じに見えてしまうものです。

個性が見えない、見ようとしないのは、描く側の問題というより、見る側の問題であることが多かったりします。個性を見る素養がないという。デッサンを強要することが正しいとは思いませんが、習いたいと言っている人からデッサンを奪ってしまうことになるのは、悲しいことです。

デッサン力なんていらない?(1)

デッサンに対しては「画一的な教育」と捉えている批判派の方も多いのが現状です。
その手の方の言い分にも納得いく部分はあります。

そこで、「デッサンなんていらない?」という題名でシリーズ化し、私が以前、アンチデッサン派の自称教育者の方とやりとした内容を紹介していこうと思います。

今回はその第一回です。写真の普及により、デッサンは不要になったのか?というのがその内容でした。

アンチデッサン派の自称教育者の言い分.1
>現在では写真が普及し、写実画の必要性が無くなった。
>下手な人でも写真をトレースすればリアルなイラストが描ける。
>そのような現状において、デッサンを習う意味は無くなって来ている。

→それに対する私の考え
まず、写真のトレースでもデッサン力がある人と無い人では如実に差が出ます。写真のトレースとは、単に形をとる時間を短縮できるというだけで、トレースすれば誰でも同じレベルに写実画を描けるというわけでは決してありません。
特に、立体感・量感という点では顕著に差が出てきます。これは一眼である写真と二眼である人間の目では立体感に差があるので、写真そのままでは人間の目には平面的に映るというのがまずあります。人間の目から見たような立体感を絵の中に表現するには、それなりの訓練が必要となるのです。
また、仮に写真のトレースでリアル画を描くということの敷居が低くなった、或いは写真で事足りることも多くなったとしても、写実画の需要は狭まりはしますが、不要になることは現状においては無いでしょう。
まず、欲しいビジュアルと全くドンピシャな写真があることの方が珍しいので、その場合は自分の画力で補完しなければなりません。まして写真では再現できないような空想の世界をリアルに描くには、やはり写真に頼れる範囲は限定されます。
そういう意味では、写真の出現で、写実画の必要性が無くなるということには、私はまだまだ疑問を感じます。
寧ろ、写真の登場で写実画が描きやすくなり、その結果写実画を描く層のボトムアップが成され、結果的にトップはさらに上に登ったともとれます。